こんなのもいる

日々考えていることを書き残しています

新興住宅地で災害に遭う心配があるけど、安全な場所ってわかるの?

この度の九州地方を震源とする地震で被害に遭われた方々に、

心からお見舞い申し上げます。

 

このエントリーの下書きを書いている時に

熊本地震が起こったため、

しばらくこの記事をアップしようか悩んでいましたが、

人々の共有知として、少しでも何か残せればよいかと考え、

書き上げることにしました。

 

高度経済成長の時期から、

全国各地で新興住宅地が造成されました。

昭和40年代、50年代に作られた住宅は、

築30年、40年が経ち、そろそろ建て替えやリフォームの時期かもしれません。

また、空き家も目立ちはじめています。

そんなリフォーム済みの物件や空き家は、

家を持ちたい人には、ちょうどいい物件に見えます。

 

でも、その物件は、

地震や大雨などがあった時に、被害にあわないか、

あるいは、被害にあうことも想定して住むことにするか、

考えておいたほうがいいかもしれません。

次のような場所は、特に注意してはどうでしょうか。

 

 ・埋め立て地

東日本大震災で、浦安エリアで液状化現象が

発生したことは、記憶に新しいと思います。

下水管が地表に飛び出したり、家が傾いたり。

埋め立て地といっても、海沿いだけでなく、

内陸にもあります。

昔、沼地だったところや、水田だったところなど。

こういう場所では、建物を建てる際、地盤改良が行われていたり、

建物の基礎が地中深くまで打ち込まれていると思いますが、

年月が経つにつれて、

地面の強度が落ちていることも考えられます。

以前は沼地や水田だったところで、

築30年近く経った大きな建物や公園の中には、

道路や広場 のインターロッキング舗装が

凸凹しているところ、

けっこうあると思います。

 

・山から平野になるところ

平成26年に広島市安佐北区安佐南区で発生した土砂災害。

住宅地広背の山が崩れるとともに、土石流が発生しました。

山から平野になる部分は、扇状地と呼ばれる地形であり、

ここでは、過去にも、土石流が発生していました。

扇状地は、土石流がある一方で、

山からのミネラルも土砂と一緒に運ばれてくるので、

土の栄養分が豊かであり、

昔から、田んぼや畑になっていました。

ということは、昔の人は、

ここは住むには危険なところだが、

田畑にはよい場所、という

認識があったと思います。

 

・川の流れを付け替えたところ

周りより土地の高さが低かったり、

地面が柔らかいといった、

水の流れやすいところに

川は流れています。

治水・土木技術の発達により、

川の流れを整え、まっすぐにしたところもあります。

そして、もとからあった川の流れは、

堤防などを作ってため池にしたり、

あるいは埋め立てて平地にしているところもあります。

しかし、想定外の量に雨が降った場合、

堤防が壊れて、むかし、川の流れがあった部分に、

雨が流れ込む可能性があります。

もともと、水が流れやすいから、

川ができていましたから。

そうなると、堤防のそばや、

川を埋め立てたところにある建物は、

水をかぶる可能性があります。

 

こういうことを考えると、 

昔、人が住んでいなかったところは、

災害に巻き込まれやすい等、

何らかの理由があって、あえて住んでいなかった、

ということに気づきます。

 

では、そのような危ない場所を

見極めるには、どうすればいいでしょうか。

私は、昔の地図と今の地図を見比べると、

ある程度は、わかってくると思います。

昔の地図、といっても戦後すぐから昭和40年代くらいの地図って、

どこで見られるんでしょうか。

公立図書館や博物館などには、ありそうです。

気になったら、問い合わせてみるといいかもしれません。

 

国土地理院が作った、過去から現在までの

全国各地の地図が、フォトショップのレイヤーのように

重ねてあって、比較できるような

インターネットサイトがあればいいのにな、

と、こんなのさんは、思いました。 

老人ホームにゲーム機筐体を置いてはどうか

スペースインベーダーが登場したのは1978年。

そのころ学生だった人は、そろそろ60歳。

若手サラリーマンだった人は、70歳近くになっている人も

いるかと思います。

老後、どう過ごすか。

そろそろ老人ホーム入居なんて人もいるかもしれません。

 

老人ホームのレクリエーションって、

職員や他の入居者と一緒に

童謡歌ったり、手遊びしたり、折り紙したり、

というイメージがありますが、

ゲームセンターやテレビゲームネイティブ世代には、

退屈過ぎやしないかと思います。

 

大型ゲーム機筐体があって、レクリエーションの時間に

使える老人ホームって、ないのかな。

太鼓の達人」や、「DDR」などは、

リズムに合わせて体を動かすから、

リハビリにもなりそうだけど。

 

ハングオン」や「アフターバーナー」が

すごくうまいご老人、

かっこいいと思う。

「スト2」でハメ技使われてケンカになったり、

アイドルマスター」で誰を推しキャラにするか

大人気なく熱くなったり。

老人ホームのパンフレットに

「○○の筐体あります」、

「高速無線LAN環境完備」なんて

書かれていたり。

 

そう遠くない未来、

そんな光景が見られそうだ、

と、こんなのさんは思いました。

余分な公共施設は売却すればいいのに

国や県、市町村が建てた

公共施設は、全国各地にたくさんあります。

 

以前のエントリーにも書きましたが、

そのような施設を維持するだけでも、

相当、お金がかかっていると思います。

光熱水費、修理費用だけでなく、

施設を機能させるための人件費や

事業やイベントを実施する経費などなど。

 

公共施設を建てた経緯は色々あると思いますが、

中には、利用人数が極端に少なくなって、

運営する意義が弱くなったものも、

残念ながら、あるんじゃないかな、と思います。

それでも、作ってしまった以上、一人でも利用者がいるならば、

維持しなければならないようです。

 

施設を運営する意義が弱くなって、

十分な運営予算が割り振られなくなって、

その結果、施設を運営するための

お金のやりくりに困るようになると、

魅力ある施設運営ができなくなり、

ますます、運営する意義が弱くなる。

・・・何か、変な気がします。

 

こういうふうに考えるとどうでしょうか。

あるところに、父、母、子供の3人家族がいました。

子供に車が必要になったので、父は子供の車を買ってあげました。

近所よりも格下の車を買うとバカにされるので、

借金をして、そこそこよいレベルの車を買いました。

子供は独立して家から出ていきましたが、

たまに帰ってきて車に乗るので、そのまま残しておきました。

車の維持費は、会社に勤めている父が出していました。

父は退職し、年金暮らしになり、

会社に勤めていた時よりも所得が少なくなり、

生活の余裕が少しなくなりました。

車のゴムや樹脂の部品が劣化してきましたが、

修理する費用がありません。

それでも子供の車は手放しませんでした。

父も母も年老いて、医療費がかかるようになりました。

生活に余裕がなくなりました。

車は部品が壊れて、雨が車内に入ってくるように

なりましたが、修理する費用がなく、そのままです。

それでも子供の車は手放しませんでした。

さらに医療費がかかるようになり、

生活必需品を買うにも苦労するなど、

日々の生活を送るのがきびしくなりました。

とうとう車は壊れて動かなくなりましたが、

ナンバーを残しているため、税金を払わなければなりません。

それでも子供の車は手放しませんでした。

 

子供の車をなぜ手放さないのでしょうか。

理由は、次のようなものでしょうか。

・一度買ったものは手放せない、という思い込みから。

・手放したことが近所に知られると、悪い噂になり、

   世間体が悪くなるから。

・一度上げた生活水準は下げられないから。

・たまに帰ってくる子供に怒られるから。

 

父を国・県・市町村(の長)、

子供を住民、

車を公共施設と置き換えると、どうでしょうか?

 

少々、例えが乱暴かもしれませんが、

こういうことが、全国で起こっているじゃないかな。

なので、身の丈に合わないような公共施設は、

まちの運営に余裕があるうちに、

いっそのこと、売却すればいいんじゃないかな。

買い手がいるかどうかは、また、別の問題ですがね。

と、こんなのさんは、考えました。

 

日本文学史におけるラノベや漫画の位置づけ

日本文学史の教科書に目を通してみました。

 

現代文学の項目では、村上龍大江健三郎が紹介されていました。

・・・現代って、いつのことを言っているのでしょ。

1970年代、1980年代かな?

 

今は2010年代なので、

70年代、80年代を現代と扱うのは、

なんだか違和感を感じます。

1990年代以降の文学は、

まだ評価が定まっていない、ということでしょうか。

 

いずれ、いわゆる「ライトノベル小説」も

評価が定まれば、教科書に載り、大学入試に出たりするんでしょうかね?

「うわー、『化物語』の作者名答えられなかった〜」

という阿鼻叫喚の声が入試会場に響くのでしょうか?

 

 また、国内外で、文学のみならず、

社会全体に大きな影響を与えている「漫画」も

日本文学史の教科書には出てきません。

平安時代の絵巻物や江戸時代の浮世絵は載っています。

これも、ライトノベルのように、

評価が定まっていないから、ということなんでしょうかね?

手塚治虫トキワ荘メンバーのくらいの世代までは、

世界的にも評価が出ていると思います。

漫画は文学に位置づけられていない、ということなんでしょうか。

 

学校の先生が大真面目に、

涼宮ハルヒの憂鬱』や『ドラえもん』について教える、

なんて時代が、早く来ないかな、

と、こんなのさんは、思いました。

 

お役所は施設を更新するための積立なんて考えない

建物や橋などの建造物ができたら、

完成した瞬間はどこも壊れていません。

その後、時間が経つにつれて、

太陽の光に晒されたり、雨水が染み込んだり、

何かが当たったりして、少しずつ、壊れていきます。

経年劣化、というものです。

これは、基本的には防ぎようがありません。

 

また、エアコンなどの機械も、

使われているゴムの部品が固くなってしまったり、

中に使われている潤滑油が汚れることで、

効率が悪くなったり、

最後には、動かなくなってしまいます。

 

パソコンのソフトウェアだって、

更新しなければ、使い勝手が悪くなったり、

新たなハードウェアとの互換性がなくて、

そのハードウェアが使えなかったりします。

 

ここまでは、前振り。

 

多くの人は、壊れた時の修理費用や、

買い替え費用を貯えていると思います。

ところが、国でも市町村でも、お役所は、

ちょっとした修理のお金は用意していますが、

大規模修理や買い替えのお金というのは、

基本的に、貯えていません。

あるとすれば、庁舎の建て替え用の積立金くらいです。

 

ということは、経年劣化したものは、完全に壊れるまで直さないか、

壊れたら使用禁止という措置をします。

その結果、雨漏りしたままの建物、壊れたままのエアコン、

windowsMeのままのパソコンがある、という状況になります。

完成してから40年以上経っている、ひび割れて地震で崩れそうな建物、

メーカーサポートが終了し、部品がなくて直せない設備、

ただの箱と化したブラウン管のテレビ。

不便ですね。

 

では、修理や買い替えの費用を積立すればいいのに、と思いますが、

そんなことはしません。

なんででしょ?

こんな理由でしょうか。

・経年劣化を想定していない。

・お金を積み立てるよりも優先すべき使い道がある。

・日々のやりくりだけでいっぱいいっぱいで、貯めるお金がない。

・今の為政者の手柄にならず、次の選挙でアピールする材料にならないのでやらない。

・後の世代がなんとかしてくれると考えている。

うん、どうしようもないな。

施設や設備の担当者は、なんとかしなくちゃ、

お金を用意しよう、と頑張っているかもしれませんが、

お財布を管理している人には、認めてもらえないんでしょうね。

 

どうしたらいいんでしょ?

お役所や偉い人に、

建てっぱなし、買いっぱなしではなく、

メンテナンスまで考えて仕事をしなさい、

メンテナンスできないものを作るのはやめなさいと、

言わなければならないだろうな、と

こんなのさんは、思いました。

 

 

物事を俯瞰して見るには地図と年表を使う

仕事や研究で、何か新しいことを始める時、

多くの人は、まず、現状分析をするのかなと思います。

そして、俯瞰の視点で見てみると、

色々なことが見えてきたり、気づくことがあります。

 

では、どうやったら、俯瞰の視点で、

的確に状況を捉えることができるでしょうか。

 

私の場合は、地図(分布図など)と年表を作ります。

地図を作る際の視点は次のとおり。

・市町村レベル、県レベル、全国レベル、世界レベル等、

  どのレベルを対象とするか設定する。

・物の数や対象人口、扱っている企業の数等の分布に偏りがないか、

  考えながら地図にデータを記載する。

・最大、最小等、「一番」や、「唯一」を探しながらデータを記載する。

・人や物、お金の大きな移動がないか探しながらデータを記載する。

・100、1000など一定の区切りで色を変えながらデータを記載する。

 

年表を作る際の視点は次のとおり。

・いつ、始まったのか。西暦、元号ともに。

・いつ、大きな出来事があったか。

・大きな出来事が起こった前後に、関連することがあったか。

  事件、事故があったか、法律や計画がかわったか。

・区切りの年(何周年など)は、いつか。これは、今後も含めて。

・いつ、主導者、責任者、担当者の交代があったか。

  大きな出来事があった時は誰だったか。

 

この2つを作ると、

・地図では、どこで盛り上がっているか、あるいは未開拓なのか。

・年表では、これまでどんな歩みをしてきたのか、

  そして今後盛り上がりそうか、衰退していきそうか。

・自分が知っていること、興味あることがその中にあるか。

がわかってきます。

また、先輩や同業者の話に、ある程度ついていけるようになります。

 

私は、この2つを、

早ければ1日、時間をかけても1週間あれば、

なんとか作れるかな、と思います。

そして、随時更新し、定期的に眺めることで、

次にどうするか、アイディアが浮かんでくるんじゃないかな、と

こんなのさんは、思いました。

 

あとは、ランキング表やグラフもつくると、

より一層、客観的に見られるようになると思います。

ビジネス雑誌には、だいたいそんなことが載ってますね。

若い人がまちに意見を言わないのはなぜか

役所や偉い人が、

まちをよくするために、

若い人の意見を聞きたい、

ということをよく聞きます。

 

でも、なかなか意見が出てきません。

なぜなのか、考えてみました。

 

意見を聞く対象について

・そもそも若い人がまちに住んでいない。

  若い人がいないんじゃ、そもそも意見を聞けません。

・若い人は住んでいるが昼間や休日は出かけている。

  意見を聞きたい人は、

  基本的に昼間のまちについて意見を聞きたいと思います。

  昼間や休日出かけていて、昼間のまちの様子がわからない人は、

  意見を聞く対象としては、浮かび上がってこないかもしれません。

  そういう人からの、夜道が暗くて犯罪が起こりそう、

  ということについての意見は

  聞くかもしれません。

 

意見のフィードバックについて

・どこに意見を伝えればいいのかわからない。

  住んでいる市町村に伝えればいいのか、

  都道府県に伝えればいいのか、

  国に伝えればいいのか、

  そもそも相手と直接やり取りして解決する問題なのか、など、

  窓口がわからない、あるいは

  聞くところや相手が間違っているようなら、

  意見を聞きたい人には届きません。

・思うところはない、まちに興味がない。

  まちについて思うことがないなら、

  意見は出てこないと思います。

  ないものは、ありません。

・意見が反映されないと思っている。

  これは、よく言われることです。

  意見を伝えたところで、

  聞く側の、一応聞きましたよ、というアリバイづくりのためならば、

  意見を出すだけムダ、と考えます。

  また、世の中のパワーバランス的に

  力が弱いならば、意見はなかなか反映されないと思っていて、

  意見を出さないのかもしれません。

  少数意見だったり、選挙権がなかったり、

  よそ者だったり。

・募集側と回答側の考え方がかみ合わない。

  意見を聞く側の理屈や観点と、

  意見を出す側の理屈や観点が

  ズレているようなら、

  どこまでいっても平行線です。

  また、

  意見を聞く側は、意見を集める(フリ)ことがねらいで、

  意見を言う側は、意見を反映してもらうことがねらいならば、

  目指すゴールがそもそもズレています。

 

現状維持について

・現状に不満はない。

  可もなく不可もなく、ということであれば、

  より良くしたい、という意見は出ません。

・現状に満足している。

  満足しているようならば、

  それは良かったですね。

 

一方、意見を聞いたところで、

役所や偉い人が、

最初から意見を実行・反映するつもりがなければ、

意見を伝える意味がありません。

意見を聞く側も、出された意見を実行・反映するための

お金や人手の余裕、空き場所といった、リソースが必要と考えます。

 

逆の見方をすると、

まちの人も、

意見を反映するために

役所や偉い人が余力を残していることを

多少なら許してあげる、

ということが必要かな、と思います。

それは、一見、ムダな物事に思えるかもしれません。

 

結論

本当に意見を聞いてまちをよくしたいなら、

役所や偉い人は、

出された意見を反映・実行する

リソースを持ってください、

また、まちの人も、

役所や偉い人の、

あそびの部分を多少は認めてあげましょう、と

こんなのさんは、思いました。