こんなのもいる

日々考えていることを書き残しています

ベッドタウンの人口を増やすには

人口減少社会だそうです。

 

一昔前まで人口が増えていた

大都市周辺のいわゆる「ベッドタウン」も、

今後、人口がどんどん減っていくようです。

これまで、人口増加を前提としておこなわれていた

役所、あるいは民間企業のまちづくりも、

見直さなければならないようです。

 

ベッドタウンの人口を増やすこと、または維持することは

できないのか、考えてみました。

 

ベッドタウンとは、戦後、大都市を中心として

日本が発展するなかで、

大都市に働く場所やビジネスチャンスを求めてきた人が、

地方から移り住んできたということで出来上がったまち、と考えます。

できれば職場に近い都市中心部に住みたい人々が、

都市中心部での人が住める容量が溢れてしまったため、

人の受け入れが可能な近郊のまちに流れ込み、

その結果、人口が増えていった、ということでしょうか。

 

現在、都市中心部でも人の受け入れ容量に余裕ができ、

いくらお金があっても、住める住宅がないため、

近郊のまちでなければ住めない、

ということが少しは改善されました。

そうすると、都市中心部に住むことが可能な人は

中心部に住む、という選択肢を選べるようになり、

都市近郊のまちを選ぶ理由が弱くなってしまったのかな、と思います。

もちろん、中心都市より住宅購入費や維持費が少なくてよいことや、

住宅の敷地が広い、周辺住環境がいい、

という理由で近郊のまちに住む人もいるでしょう。

 

ここで一つ、極端な考え方ですが、

昔のように、都市中心部の人口が飽和すれば、

またベッドタウンに人が流れ込んでくるのかな、

と思いました。

そこで、ベッドタウンの市長や偉い人は

・都市中心部にもっと人を集約させる

  (地方や海外から人を集める)

・都市中心部の住宅を減らす

  (住宅建築の要件を厳しくして、住宅増加を抑制する、

     あるいは、税金を高くして住むためのハードルを高くする)

という政策をするよう、

国や中心都市に働きかければいいのではないか。

と、こんなのさんは、思いました。

 

働きかけた市長や偉い人のまちを選んで住んでくれるか、

ということは、それはまた別件として、

考えなければならないことですが。

 

 

大学で学べること

今は大学入試シーズン。

入りたい大学や学部で学ぶことを夢見て、

最後の追い込みをかけている人も多いかと思います。

 

さて、大学生は大学では何を学ぶのでしょうか?

人間関係や社会経験はさておき、

大学で学んだことが仕事をつながる、

なんてことは、なかなか難しいこと。

法学部に入って勉強したからといって、

法曹界で活躍したり、

商学部や経済学部に入って勉強したからといって、

企業を経営したり、とはいかず、

世の中そうそう、うまくはいかないもの。

 

では大学で学んだら、どんなことが身につくのでしょうか?

私は、世の中の見方を身につけられる、と考えます。

 

どういうことかというと、

世の中のある事柄について、

法律を学んだ人は、法的にはどうか、という観点で考えたり

経済を学んだ人は、商売的にはどうか、という観点で考えたり、

歴史を学んだ人は、経緯の時系列はどうか、という観点で考えたり、

芸術を学んだ人は、美的にはどうか、という観点で考えたり。

 

ある程度真面目に勉強した大学生に対して、

世間が期待しているレベルって、

その程度じゃないかな。

大学の学部レベルで、

半期で13回、通年25回くらいの講義時間で学べる内容だと、

あまり深く掘り下げないし。

 

学んだ成果を証明できるものとしては、

色々な資格がありますが、

資格を持っているからといって、

職場の即戦力になる、

ということも、また難しい。

もちろん、資格がないと就けない仕事もあります。

この仕事をしたいから、

必要な資格を得るために、大学に行く、というのも、

また一つの考え方です。

 

結論としては、

○○学部卒です、

だから、こんな見方ができます、

と言えるような、

人になれればいいんじゃないかな、と、

こんなのさんは、思いました。

 

 

 

 

聖地巡りって昔からある

らきすた』前後でしょうか、

いわゆる、アニメ作品などの舞台を訪れ、

登場人物の真似をしたり

作品に思いをはせたりする

「聖地めぐり」が世間一般に浸透したのは。

その前から、『お願いティーチャー』に影響されて

木崎湖に行くような人は、一定数いたわけですが。

 

「真実の口」に手を入れて抜けなくなる『ローマの休日』ごっこ、

冬の韓国で小さな雪ダルマを作る『冬のソナタ』ごっこ、

富良野にある丸太小屋で田中邦衛の真似をする『北の国から』ごっこ、

奈良や京都で和歌を詠む『小倉百人一首』ごっこ。

 

聖地めぐりをきみわるがっている皆様、

あなたもすでに、同じことをやっているのです。

アルプスの少女ハイジ』を見て、

大勢の日本人がスイスを訪れ、

はしゃいでいたら、

スイスの人は困惑していたそうです。

 

だから、邪見に扱わないで、

ふーん、って見てあげればいいんじゃないかな。

と、こんなのさんは、思いました。

子どもは大人の背中を見て育つ、ということは

これからの時代、世界で活躍するには「 〜」が必要だ、

ということで、小学生に色々なことを

学ばせようというご意見を、よく聞きます。

・英語

・日本の歴史や伝統文化

・コンピュータプログラミング

・スポーツ

・問題発見力や問題解決力

・サバイバル力

・生きる力

とかね。

 

これらを兼ね備えた、スーパー子ども、さらに成長して、

スーパー大人になってもらおうということですが、

そういうご意見を下さる方は、

当然、スーパー大人だったり、

あるいは、スーパー大人になるための精進をされているんですよね。

 

一日中、テレビの前にいたり、

運動不足のメタボ体型だったり、

居酒屋でくだまいてるだけだったり、

自分のことは棚に上げて

ご意見をおっしゃっているんじゃ、ないですよね。

子どもは大人の背中を見て育つらしいです。

 

と、こんなのさんは思いました。

子どもを安心して産める、育てられる環境ならば引っ越してきて、住み続けるか

まちの広報紙を読んでいたら、

人口減少に対応したまちづくりの視点として、

産科、小児科を充実してはどうか、というものがあった。

 

確かに、まちとして、

これから子どもを産み、育てる人々を呼び込むためには、

産科、小児科や、保育環境を充実させることは必要だと思う。

けれども、それを理由として、出生率が高まるだろうか。

よそのまちから人口が流入したり、

あるいは、よそのまちへの人口流出に歯止めがかかるだろうか。

 

まちにある産科や小児科にかかることができるのを、

そのまちに住んでいる人に限定するようなことは、

現実問題としては難しいと思う。

また、出産費用や小児医療費の補助や、

保育園に必ず入れるような仕組みを用意しても、

補助期間が終わったり、小学校に上がる段階で、

もうまちからもらえるものはないので、

このまちには用はない、ということで

引っ越してしまうようなことになったら、

役所としては、ずっと住み続けてもらいたかったから

面倒みてたのに、いなくなってしまい、

お金を出したり、環境を作ったのに、

損した、ということにはならないだろうか。

 

どんな条件なら引っ越してくるか、あるいは住み続けるか、

聞いてみたらどうだろうね。

役所にしてみたら、

そんなの無理、という要望が上がってくると思うが、

そんな現実も認識しなければならないのではないかと、

こんなのさんは、思いました。

 

ブログという仕組みのすごいところ

ブログという手法で、個人が意見や思想を発信できるように

なったのは、すごいことだと思う。

 

ブログができる前は、

社会に広く自分の意見を発信するには、

雑誌に論文を投稿して掲載されたり、

新聞の投書欄に掲載されるといった、

マスコミを使う方法がメインで

情報発信のハードルが高かったと思う。

 

それが、マスコミを介さずに、

インターネットを通じて、

直接、個人から社会に発信し、

個人に届くようになった。

その結果、マスコミでは拾い切れなかった

意見や思想が、社会に発信されるようになった。

 

また、マスコミを介して発表されるということは、

発表媒体が、取り上げるに足ると判断したので発表するから、

ある程度のクオリティが担保される一方、

内容にどうしても偏りが出る。

ブログは、マスコミというフィルターを通さないので、

玉石混交な意見や思想が、

そのまま社会に発信される。

だから、炎上してしまうような、

発信した本人や、受け取った人に

悪影響を与えることも、発信される。 

 

結論としては、 発信者、受信者の

情報を扱う意識、つまり情報リテラシーの問題になるが、

どうやって身につければいいんだろうね。

センスの問題なのかね。

 

と、こんなのさんは思いました。

空き家を高齢者の集いの場に、っていうけどさ

役所に言うんじゃなくて、

高齢者が自分たちでお金を出しあって、

空き家を借りればいいんじゃないかな。

 

まちが、お金の使い道がなくて、

お金が余って仕方ないならともかく、

既存の社会インフラの維持や、

社会福祉などの使い道が多すぎて、

お金が足りなくて困っているようなら、

お題のようなお金の使い方は、

優先順位は低いと思う。

 

老い先短いから、

自分たちよりも、

若い人にお金を使ってください、

っていう高齢者を、

ほとんど見ないけれども、

そういう考えって、

あまりわかないのかな。

 

と、こんなのさんは思いました。