こんなのもいる

日々考えていることを書き残しています

役所が発信する情報がおもしろくないわけ

役所が出している広報紙やウェブサイトの類は、

正直、あまり面白くありません。

たまに、「おっ、これは。」と

目を引いたり、読んで納得、というものもありますが。

 

なんで、面白くないのかというと、

面白く書こうとしていない、あるいは書けないからであって、

面白さよりも、正確さ、公平さを念頭に書いているからです。

ここがナンバーワン、と書く時は、担当者の主観ではなく、

統計データや客観的証拠をもとにしなければなりませんし、

例えばパン屋を紹介する時は、

まちにある全てのパン屋を紹介しなければ、

文句が来るので、全て網羅します。

書いてないことがあると文句が来るので、

細かいことまで全て書きます。

または、店の名前と住所、電話番号しか書きません。

そうすると、結果的に、広く薄く、メリハリのない、という内容になります。

担当者のオススメ情報、なんてことは載せられません。

担当者が、店や情報提供先からバックマージンをもらっているのではないかと、

疑われてしまうからです。

 

役所にしては攻めてるな、という観光ガイドブックなどは、

巻末を見てみると、

出版社や旅行会社に制作を委託して、

役所は編集責任を負わないというトリックになっていたりします。

役所の発行責任は残るけどね。

 

役所が発信する情報を面白くするには、

役所も多少はトンがっていてもいいんじゃないの、

ということを、住民が認めてくれればいいんでしょうかね。

まあ、何をしても、文句をいう人は必ずいるので、

住民の半分くらいからは、まあいいんじゃないかな、

認めてもらえるレベルの攻めで抑えておけば

いいんじゃないかな、

と、こんなのさんは、思いました。

 

100歳まで生きたいですか

人生100年時代だそうです。

 

定年退職後、何十年も生きるので、資産運用しましょうとか、

50歳でやっと人生の折り返しなので、あと50年活躍できるように

スキルアップして、手に職つけましょうとか。

 

なんだか、みんな、100歳まで生きることが前提になってますが、

100歳まで、生きたいですか。

なんの為に、100歳まで生きるのですか。

社会の役に立つとか、何々を達成する、という

目的やビジョンがないまま、なんとなく、

100歳まで生きることが目的になっていないでしょうか。

いわゆる、目的と手段が逆転している、ということに、

なってないですかね。

 

仕事や社会に対して、

目的と手段が入れ替わっていると、

憤慨している方、

あなたは、100歳までとはいいませんが、

長生きすることについて、

目的と手段を、説明できるのでしょうね。

 

高齢者に対する社会保障が、

現役世代や将来世代に対して

手厚いようにみえる、

現役世代や将来世代は、

数多くの負債を負わなくてはならないようにみえると、

長生きすることは、いいことなのか、

一概には、言えないように思えます。

 

いっそ、40歳、50歳で、もう充分生きました、

これ以上は生きなくていいです、

という生き方や、選択肢があってもいいんじゃないかと、

こんなのさんは、考えました。

まちおこしがテーマのアニメについて

アニメでまちおこし、じゃなくて、

まちおこしをテーマとしたアニメ。

 

2017年春、夏だと

サクラクエスト

アクションヒロイン チアフルーツ

が放送されてました。

2014年には

普通の女子校生が【ろこどる】やってみた。

が放送されてました。

 

まちおこし、という題材は、

ノンフィクション、フィクションともに

小説やドラマ、映画といった作品に

なることが多いです。

 

上記3作品は、ストーリーの1エピソードで「まちおこし回」

をやるんじゃなくて、

1クール、2クール、まるまる使うというところが、

おもしろかったかな。

 

こういうアニメ作品が出てきたということは

どういうことかね。

・アニメを普通に楽しむ世代が、

 実際にまちおこしを仕事としている公務員などになって、

 その人たちをターゲットとして作られた。

・アニメのお話のようなことが、

 現実のまちおこしで行われている。

まちおこしが、アニメのような絵空事

ありえないことになっている。

3番目の要因だったら、困りものですね。

 

まちおこしがテーマのアニメに触発されて、

公務員になろうと決心し、役所に勤めても、

実際には、このような作品みたいなことは

できないじゃないかな。

公務員って、基本的に、目立つことはNGでしょうし、

仕事を新たに作ろうとしても、余計なことはしなくてよい、

と、上司や住民から押さえ込まれるでしょう。

 

田舎すぎて人もネタもなくて困ってるまちや、

なんでもネタにしちゃおうとする先進的なまちは、

そんなことをぶっ飛ばして、目立つこと、余計なことをした結果、

ニュースで取り上げられ、人々の評判になり、人が訪れ、移住し、

まちが賑わう、というサイクルに乗りやすいと思います。失敗もあるけどね。

中途半端に現状維持でいいと決めたり、

まわりのまちの様子を見て、やるかどうか考えるまちは、

10年くらい後には、人も店もいなくなるでしょうね。

 

さて、私の住んでいるまちはどうなっていくのかね、

と、こんなのさんは、思いました。

優秀な人材を採用しても、使いこなせるのかな

「優秀な人材を採用したい」って、人事担当者はいうけれど、

「じゃあ、何をしてもらうか」や「配属場所は」ということを聞くと、

あんまり、はっきりした答えは出てこないようです。

特に、新卒採用の一般事務職は。

 

何をもって優秀か、という定義も、

学歴、保有資格やスキル、経歴等、色々な尺度があります。

上に挙げるようなものを持っていても、

ピンポイントに活かせる仕事やポジションがその会社にあるかというと、

必ずしもそうではないでしょうし、

そこそこの規模の会社で、人事異動もあるとすると、

ずっと同じ仕事やポジションにいられるわけではないでしょう。

 

実際 、上記の優秀そうだな、という観点で採用しても、

仕事をさせてみたら、そうでもなかった、ということも多いし。

 

また、実際に優秀な人物だった時に、

会社はその人を活用しきれるでしょうか。

その人がずっと活躍できる仕事やステージを会社が用意できるか、

あるいはその人が取ってきた仕事を、やってよいと承認し続けられるか、

周りの人間や上司、社長が、活躍を嫉妬したり、邪魔しないか、

ということも、あると思います。

 

なので、だいたいの会社の本音としては、

「優秀な人材」ではなく、

その会社が使いこなせる「そこそこの人材」を

採用したい、ということなんだろうね。

 

逆に、 その会社に採用されたい、優秀な人であれば、

優秀な能力の発揮を、

その会社に必要な程度のレベルまで抑えられれば、

採用してもらえるのかもしれません。

昔からいう、能ある鷹は爪を隠す、的な。

そういう人は、遅かれ早かれ、別の会社に引き抜かれたり、

自分で独立起業しちゃいそうですけどね。

 

「優秀な人材を採用したい」って

「何かおいしいものを食べたい」ぐらいのあいまいなもので、

優秀な人材を採用したい、という言葉には、

まともに反応しないほうがいいんじゃないかな、

と、こんなのさんは、思いました。

先生は何でも知っているわけではない

先生はなんでも知ってるんだぞ。

と、いう小学校の先生がいました。

 

ところが、小学3・4年生くらいになると、

特定の分野では、小学校の先生より、

知識や考え方がまさっている子どもが、

中には、いるんです。

電車や生き物、歴史などに

やたら詳しい同級生って、

クラスに1人くらいは、いたんじゃないかな。

 

さて、こういう子どもを

先生はどう扱ったらよいでしょうか。

先生の威厳を保つために、争っても、

正直、無駄です。

こういう子どもの知識吸収力や思考力は、

とんでもないです。

では、どうしたらよいか。

専門施設や専門家を案内すれば、いいと思います。

博物館や図書館、学芸員や司書など。

こうすれば、先生は専門家を知っている、紹介できる、

ということで、威厳も保てるようですし、

子どもの能力を伸ばすこともできます。

 

小学校だと、運動ができることは褒められるが、

知識や思考力があることはあまり褒められない、

という傾向があるようですが、

なんででしょうね。生意気だから?

今度、学校の先生に聞いてみようかな、

と、こんなのさんは、思いました。

昔の方が仕事は楽だったんじゃないかな

昔といっても30〜40年前、1980〜90年代初めくらいを

イメージしています。

 

一家に一台パソコン、プリンタはなかったです。

あっても、ワープロ

手書きじゃなくて、明朝体で印刷できれば御の字で、

見栄えやデザインのクオリティが低い文書や会議資料でも、

まあ、いいだろう、とされていました。

 

個人が、出版社や取次から直接、本やCDなど商品が買えなかったので、

時間がかかることもやむをえず、

お店に頼んで、取り寄せてもらいました。

送料はかからないけれど、

バーゲンセールはないので、

お店が定価で売ってもお客から文句は言われませんでした。

 

外食は、お店のバリエーションが少なかったです。

食べ比べや批評サイトはないので、

まあこんなものか、程度の味が出せれば

お店はやっていけたようです。

 

人海戦術でこなすような仕事も多かったから、

仕事に対するセンスが足りなかったり、

多少、受け身の姿勢でも、それなりに

居場所や仕事はありました。

 

今は、基本的に、

日本国内や世界と比較して、

クオリティの高い仕事内容やサービスを

要求されます。

同じサービスでも、

なぜこっちの会社のような金額や納期でできないのか、と

比較表をつきつけられます。

 

サービスを受けるお客としては、

安くてよいサービスを受けられるのはいいことなんだけど、

サービス提供側としては、業界最安値や業界最高級と

比べられて、同じものを出せと言われても、

正直、無理っす、ということもあります。

ネット通販の最安値を示されても、

まちの電器屋では、その値段では出せません。

まちの印刷屋では、大量枚数のカラー印刷物の翌日納品はできません。

その結果、商売が難しくなって、まちのお店が閉店していきます。

シャッター通りの出来上がり。

 

そう考えると、 グローバルではなく、

ある一定の範囲で、社会や経済が成り立っていた頃の方が、

働きやすい、生きやすい世の中だったかもしれません。

自分達の便利さを追い求めた結果、

自分達の首を締めることになったのかな、

と、こんなのさんは、考えました。

社長からの手紙が来た

「社長に会わせろ!」と

窓口で騒いでいる人を、見かけます。

役所だと、知事に会わせろ、市長に会わせろ、と。

 

そして、「社長の名前で送られてきた手紙を持っているので、

それに書いてあることについて、直接会って話がしたい」そうで。

どんな手紙かというと、料金値上げや税金徴収のお知らせ。

社長や市長に直談判して、値上げや徴収を免除してもらいたいんだって。

 

社長や市長の名前が書いてある手紙を持って来れば、

気軽に、簡単に、会えるとお考えらしい。

会ったら、自分の主張を受け入れてもらえるとお考えらしい。

 

いやいや、そんなこと、ありませんから。

社長や市長の名前で来た手紙って、そんなに重いものなのかね。

直筆じゃなくって、印刷されたものだよ。

 何千人も、何万人にも送っているものだよ。

 

もし、話ができたとしても、即決で、

あなただけ特別に免除しましょう、

なんてこと、あるわけがない。

 

うーむ、普段は平等、公平な世の中でなければいけないと言いながら、

自分については、不平等、不公平に扱ってもらいたい、

と言ってくる感覚がわからないな、

と、こんなのさんは、思いました。