こんなのもいる

日々考えていることを書き残しています

老人ホームにゲーム機筐体を置いてはどうか

スペースインベーダーが登場したのは1978年。

そのころ学生だった人は、そろそろ60歳。

若手サラリーマンだった人は、70歳近くになっている人も

いるかと思います。

老後、どう過ごすか。

そろそろ老人ホーム入居なんて人もいるかもしれません。

 

老人ホームのレクリエーションって、

職員や他の入居者と一緒に

童謡歌ったり、手遊びしたり、折り紙したり、

というイメージがありますが、

ゲームセンターやテレビゲームネイティブ世代には、

退屈過ぎやしないかと思います。

 

大型ゲーム機筐体があって、レクリエーションの時間に

使える老人ホームって、ないのかな。

太鼓の達人」や、「DDR」などは、

リズムに合わせて体を動かすから、

リハビリにもなりそうだけど。

 

ハングオン」や「アフターバーナー」が

すごくうまいご老人、

かっこいいと思う。

「スト2」でハメ技使われてケンカになったり、

アイドルマスター」で誰を推しキャラにするか

大人気なく熱くなったり。

老人ホームのパンフレットに

「○○の筐体あります」、

「高速無線LAN環境完備」なんて

書かれていたり。

 

そう遠くない未来、

そんな光景が見られそうだ、

と、こんなのさんは思いました。

余分な公共施設は売却すればいいのに

国や県、市町村が建てた

公共施設は、全国各地にたくさんあります。

 

以前のエントリーにも書きましたが、

そのような施設を維持するだけでも、

相当、お金がかかっていると思います。

光熱水費、修理費用だけでなく、

施設を機能させるための人件費や

事業やイベントを実施する経費などなど。

 

公共施設を建てた経緯は色々あると思いますが、

中には、利用人数が極端に少なくなって、

運営する意義が弱くなったものも、

残念ながら、あるんじゃないかな、と思います。

それでも、作ってしまった以上、一人でも利用者がいるならば、

維持しなければならないようです。

 

施設を運営する意義が弱くなって、

十分な運営予算が割り振られなくなって、

その結果、施設を運営するための

お金のやりくりに困るようになると、

魅力ある施設運営ができなくなり、

ますます、運営する意義が弱くなる。

・・・何か、変な気がします。

 

こういうふうに考えるとどうでしょうか。

あるところに、父、母、子供の3人家族がいました。

子供に車が必要になったので、父は子供の車を買ってあげました。

近所よりも格下の車を買うとバカにされるので、

借金をして、そこそこよいレベルの車を買いました。

子供は独立して家から出ていきましたが、

たまに帰ってきて車に乗るので、そのまま残しておきました。

車の維持費は、会社に勤めている父が出していました。

父は退職し、年金暮らしになり、

会社に勤めていた時よりも所得が少なくなり、

生活の余裕が少しなくなりました。

車のゴムや樹脂の部品が劣化してきましたが、

修理する費用がありません。

それでも子供の車は手放しませんでした。

父も母も年老いて、医療費がかかるようになりました。

生活に余裕がなくなりました。

車は部品が壊れて、雨が車内に入ってくるように

なりましたが、修理する費用がなく、そのままです。

それでも子供の車は手放しませんでした。

さらに医療費がかかるようになり、

生活必需品を買うにも苦労するなど、

日々の生活を送るのがきびしくなりました。

とうとう車は壊れて動かなくなりましたが、

ナンバーを残しているため、税金を払わなければなりません。

それでも子供の車は手放しませんでした。

 

子供の車をなぜ手放さないのでしょうか。

理由は、次のようなものでしょうか。

・一度買ったものは手放せない、という思い込みから。

・手放したことが近所に知られると、悪い噂になり、

   世間体が悪くなるから。

・一度上げた生活水準は下げられないから。

・たまに帰ってくる子供に怒られるから。

 

父を国・県・市町村(の長)、

子供を住民、

車を公共施設と置き換えると、どうでしょうか?

 

少々、例えが乱暴かもしれませんが、

こういうことが、全国で起こっているじゃないかな。

なので、身の丈に合わないような公共施設は、

まちの運営に余裕があるうちに、

いっそのこと、売却すればいいんじゃないかな。

買い手がいるかどうかは、また、別の問題ですがね。

と、こんなのさんは、考えました。

 

日本文学史におけるラノベや漫画の位置づけ

日本文学史の教科書に目を通してみました。

 

現代文学の項目では、村上龍大江健三郎が紹介されていました。

・・・現代って、いつのことを言っているのでしょ。

1970年代、1980年代かな?

 

今は2010年代なので、

70年代、80年代を現代と扱うのは、

なんだか違和感を感じます。

1990年代以降の文学は、

まだ評価が定まっていない、ということでしょうか。

 

いずれ、いわゆる「ライトノベル小説」も

評価が定まれば、教科書に載り、大学入試に出たりするんでしょうかね?

「うわー、『化物語』の作者名答えられなかった〜」

という阿鼻叫喚の声が入試会場に響くのでしょうか?

 

 また、国内外で、文学のみならず、

社会全体に大きな影響を与えている「漫画」も

日本文学史の教科書には出てきません。

平安時代の絵巻物や江戸時代の浮世絵は載っています。

これも、ライトノベルのように、

評価が定まっていないから、ということなんでしょうかね?

手塚治虫トキワ荘メンバーのくらいの世代までは、

世界的にも評価が出ていると思います。

漫画は文学に位置づけられていない、ということなんでしょうか。

 

学校の先生が大真面目に、

涼宮ハルヒの憂鬱』や『ドラえもん』について教える、

なんて時代が、早く来ないかな、

と、こんなのさんは、思いました。

 

お役所は施設を更新するための積立なんて考えない

建物や橋などの建造物ができたら、

完成した瞬間はどこも壊れていません。

その後、時間が経つにつれて、

太陽の光に晒されたり、雨水が染み込んだり、

何かが当たったりして、少しずつ、壊れていきます。

経年劣化、というものです。

これは、基本的には防ぎようがありません。

 

また、エアコンなどの機械も、

使われているゴムの部品が固くなってしまったり、

中に使われている潤滑油が汚れることで、

効率が悪くなったり、

最後には、動かなくなってしまいます。

 

パソコンのソフトウェアだって、

更新しなければ、使い勝手が悪くなったり、

新たなハードウェアとの互換性がなくて、

そのハードウェアが使えなかったりします。

 

ここまでは、前振り。

 

多くの人は、壊れた時の修理費用や、

買い替え費用を貯えていると思います。

ところが、国でも市町村でも、お役所は、

ちょっとした修理のお金は用意していますが、

大規模修理や買い替えのお金というのは、

基本的に、貯えていません。

あるとすれば、庁舎の建て替え用の積立金くらいです。

 

ということは、経年劣化したものは、完全に壊れるまで直さないか、

壊れたら使用禁止という措置をします。

その結果、雨漏りしたままの建物、壊れたままのエアコン、

windowsMeのままのパソコンがある、という状況になります。

完成してから40年以上経っている、ひび割れて地震で崩れそうな建物、

メーカーサポートが終了し、部品がなくて直せない設備、

ただの箱と化したブラウン管のテレビ。

不便ですね。

 

では、修理や買い替えの費用を積立すればいいのに、と思いますが、

そんなことはしません。

なんででしょ?

こんな理由でしょうか。

・経年劣化を想定していない。

・お金を積み立てるよりも優先すべき使い道がある。

・日々のやりくりだけでいっぱいいっぱいで、貯めるお金がない。

・今の為政者の手柄にならず、次の選挙でアピールする材料にならないのでやらない。

・後の世代がなんとかしてくれると考えている。

うん、どうしようもないな。

施設や設備の担当者は、なんとかしなくちゃ、

お金を用意しよう、と頑張っているかもしれませんが、

お財布を管理している人には、認めてもらえないんでしょうね。

 

どうしたらいいんでしょ?

お役所や偉い人に、

建てっぱなし、買いっぱなしではなく、

メンテナンスまで考えて仕事をしなさい、

メンテナンスできないものを作るのはやめなさいと、

言わなければならないだろうな、と

こんなのさんは、思いました。

 

 

物事を俯瞰して見るには地図と年表を使う

仕事や研究で、何か新しいことを始める時、

多くの人は、まず、現状分析をするのかなと思います。

そして、俯瞰の視点で見てみると、

色々なことが見えてきたり、気づくことがあります。

 

では、どうやったら、俯瞰の視点で、

的確に状況を捉えることができるでしょうか。

 

私の場合は、地図(分布図など)と年表を作ります。

地図を作る際の視点は次のとおり。

・市町村レベル、県レベル、全国レベル、世界レベル等、

  どのレベルを対象とするか設定する。

・物の数や対象人口、扱っている企業の数等の分布に偏りがないか、

  考えながら地図にデータを記載する。

・最大、最小等、「一番」や、「唯一」を探しながらデータを記載する。

・人や物、お金の大きな移動がないか探しながらデータを記載する。

・100、1000など一定の区切りで色を変えながらデータを記載する。

 

年表を作る際の視点は次のとおり。

・いつ、始まったのか。西暦、元号ともに。

・いつ、大きな出来事があったか。

・大きな出来事が起こった前後に、関連することがあったか。

  事件、事故があったか、法律や計画がかわったか。

・区切りの年(何周年など)は、いつか。これは、今後も含めて。

・いつ、主導者、責任者、担当者の交代があったか。

  大きな出来事があった時は誰だったか。

 

この2つを作ると、

・地図では、どこで盛り上がっているか、あるいは未開拓なのか。

・年表では、これまでどんな歩みをしてきたのか、

  そして今後盛り上がりそうか、衰退していきそうか。

・自分が知っていること、興味あることがその中にあるか。

がわかってきます。

また、先輩や同業者の話に、ある程度ついていけるようになります。

 

私は、この2つを、

早ければ1日、時間をかけても1週間あれば、

なんとか作れるかな、と思います。

そして、随時更新し、定期的に眺めることで、

次にどうするか、アイディアが浮かんでくるんじゃないかな、と

こんなのさんは、思いました。

 

あとは、ランキング表やグラフもつくると、

より一層、客観的に見られるようになると思います。

ビジネス雑誌には、だいたいそんなことが載ってますね。

若い人がまちに意見を言わないのはなぜか

役所や偉い人が、

まちをよくするために、

若い人の意見を聞きたい、

ということをよく聞きます。

 

でも、なかなか意見が出てきません。

なぜなのか、考えてみました。

 

意見を聞く対象について

・そもそも若い人がまちに住んでいない。

  若い人がいないんじゃ、そもそも意見を聞けません。

・若い人は住んでいるが昼間や休日は出かけている。

  意見を聞きたい人は、

  基本的に昼間のまちについて意見を聞きたいと思います。

  昼間や休日出かけていて、昼間のまちの様子がわからない人は、

  意見を聞く対象としては、浮かび上がってこないかもしれません。

  そういう人からの、夜道が暗くて犯罪が起こりそう、

  ということについての意見は

  聞くかもしれません。

 

意見のフィードバックについて

・どこに意見を伝えればいいのかわからない。

  住んでいる市町村に伝えればいいのか、

  都道府県に伝えればいいのか、

  国に伝えればいいのか、

  そもそも相手と直接やり取りして解決する問題なのか、など、

  窓口がわからない、あるいは

  聞くところや相手が間違っているようなら、

  意見を聞きたい人には届きません。

・思うところはない、まちに興味がない。

  まちについて思うことがないなら、

  意見は出てこないと思います。

  ないものは、ありません。

・意見が反映されないと思っている。

  これは、よく言われることです。

  意見を伝えたところで、

  聞く側の、一応聞きましたよ、というアリバイづくりのためならば、

  意見を出すだけムダ、と考えます。

  また、世の中のパワーバランス的に

  力が弱いならば、意見はなかなか反映されないと思っていて、

  意見を出さないのかもしれません。

  少数意見だったり、選挙権がなかったり、

  よそ者だったり。

・募集側と回答側の考え方がかみ合わない。

  意見を聞く側の理屈や観点と、

  意見を出す側の理屈や観点が

  ズレているようなら、

  どこまでいっても平行線です。

  また、

  意見を聞く側は、意見を集める(フリ)ことがねらいで、

  意見を言う側は、意見を反映してもらうことがねらいならば、

  目指すゴールがそもそもズレています。

 

現状維持について

・現状に不満はない。

  可もなく不可もなく、ということであれば、

  より良くしたい、という意見は出ません。

・現状に満足している。

  満足しているようならば、

  それは良かったですね。

 

一方、意見を聞いたところで、

役所や偉い人が、

最初から意見を実行・反映するつもりがなければ、

意見を伝える意味がありません。

意見を聞く側も、出された意見を実行・反映するための

お金や人手の余裕、空き場所といった、リソースが必要と考えます。

 

逆の見方をすると、

まちの人も、

意見を反映するために

役所や偉い人が余力を残していることを

多少なら許してあげる、

ということが必要かな、と思います。

それは、一見、ムダな物事に思えるかもしれません。

 

結論

本当に意見を聞いてまちをよくしたいなら、

役所や偉い人は、

出された意見を反映・実行する

リソースを持ってください、

また、まちの人も、

役所や偉い人の、

あそびの部分を多少は認めてあげましょう、と

こんなのさんは、思いました。

ベッドタウンの人口を増やすには

人口減少社会だそうです。

 

一昔前まで人口が増えていた

大都市周辺のいわゆる「ベッドタウン」も、

今後、人口がどんどん減っていくようです。

これまで、人口増加を前提としておこなわれていた

役所、あるいは民間企業のまちづくりも、

見直さなければならないようです。

 

ベッドタウンの人口を増やすこと、または維持することは

できないのか、考えてみました。

 

ベッドタウンとは、戦後、大都市を中心として

日本が発展するなかで、

大都市に働く場所やビジネスチャンスを求めてきた人が、

地方から移り住んできたということで出来上がったまち、と考えます。

できれば職場に近い都市中心部に住みたい人々が、

都市中心部での人が住める容量が溢れてしまったため、

人の受け入れが可能な近郊のまちに流れ込み、

その結果、人口が増えていった、ということでしょうか。

 

現在、都市中心部でも人の受け入れ容量に余裕ができ、

いくらお金があっても、住める住宅がないため、

近郊のまちでなければ住めない、

ということが少しは改善されました。

そうすると、都市中心部に住むことが可能な人は

中心部に住む、という選択肢を選べるようになり、

都市近郊のまちを選ぶ理由が弱くなってしまったのかな、と思います。

もちろん、中心都市より住宅購入費や維持費が少なくてよいことや、

住宅の敷地が広い、周辺住環境がいい、

という理由で近郊のまちに住む人もいるでしょう。

 

ここで一つ、極端な考え方ですが、

昔のように、都市中心部の人口が飽和すれば、

またベッドタウンに人が流れ込んでくるのかな、

と思いました。

そこで、ベッドタウンの市長や偉い人は

・都市中心部にもっと人を集約させる

  (地方や海外から人を集める)

・都市中心部の住宅を減らす

  (住宅建築の要件を厳しくして、住宅増加を抑制する、

     あるいは、税金を高くして住むためのハードルを高くする)

という政策をするよう、

国や中心都市に働きかければいいのではないか。

と、こんなのさんは、思いました。

 

働きかけた市長や偉い人のまちを選んで住んでくれるか、

ということは、それはまた別件として、

考えなければならないことですが。