博物館が不要な人は、家族の思い出写真もいらない人
まちに、博物館とか、歴史資料館というような
地域の歴史を調べて、紹介する施設があります。
ないまちもあります。
これらの施設は、ほとんどが公立のものです。
時々、博物館のようなハコモノに税金を使うのは無駄遣いだから、
作る必要はない、つぶしたほうがよい、
という意見が出されます。
一般市民からも、首長からも。
そのようなことを言う人は、歴史をきちんと記録、整理し、
後世に伝えることは不要、という考えをお持ちでしょう。
だから、旅先での風景やレストランで出て来たおいしい料理を撮った写真、
家族でどこか出かけた時の写真やビデオ、
子どもが一生懸命、学校で作った図工作品などには、
一切の興味や価値を感じず、
記録しなかったり、すぐに捨てたりしているんでしょうね。
もし、残しているとしたら、考えと行動に矛盾が出てきます。
特に、市町村長といった首長さんや、役所の人が、
家族の思い出は残すが、まちの思い出は残す必要はない、
ということでしたら、これは、大きな矛盾を感じます。
まちのために働いている人が、まちの成長過程を顧みない、
ということですから。
住民や、観光客等の来訪者が、
まちのことを知りたいと思った時、
まちの過去のことは記録に残っていないのでわかりません、
ということで、いいんでしょうかね。
まちの成り立ちを知りたい→わかりません
まちの名産品を知りたい→わかりません
まち出身の偉人を知りたい→わかりません
まちに起こった災害を知りたい→わかりません
まちの人口推移を知りたい→わかりません
このようなことで、
住民に、まちに愛着を持ってください、とか
観光客に、まちに興味をもって来てください、と
呼びかけても、説得力はありません。
愛着や興味を持つ、きっかけが足りないのですから。
海外に留学したり、仕事に行った人が、
相手から、日本のこと、特に歴史や文化について聞かれたとき、
自分がそれらについて不勉強だったため、
うまく答えられず、恥ずかしい思いをした、
ということがあるそうです。
日本国内でも同じじゃないかな。
あなたの住んでいるまちには、何があるの、
と聞かれて、何もない、または、知らない、
という答えでは、会話が弾まず、さびしくありませんか。
公立博物館って、やっぱり必要なんじゃないかな、
と、こんなのさんは、思いました。