こんなのもいる

日々考えていることを書き残しています

東京オリパラ中は、特別展を開催しないでパブリックビューイングやればいいんじゃないか

2020年に東京オリンピックパラリンピックが開催されます。

東京都内をはじめとする、競技開催場所には

たくさんの人が来るでしょう。

一方で、その期間は、都内の博物館や美術館は、

もしかしたら、お客さんをオリンピック・パラリンピック

取られてしまい、来場者が少なくなってしまうかしれません。

特に、特別展はお金や手間をたくさんかけていますから、

お客さんを取られてしまうのは、死活問題です。

 

だったら、オリンピック、パラリンピック期間中の

特別展開催は、あえてずらしたら、いいんじゃないかな。

その代わり、その会場でパブリックビューイングをやって、

パブリックビューイングが始まる前は、館内で常設展を見学してもらって、

 パブリックビューイングの時間は、PV会場の部屋で、みんなで応援する。

オリンピック、パラリンピック関係の展示ができると、なおよろしいですね。

 

オリンピック・パラリンピック出場選手は、

東京に限らず、全国各地から参加しているので、

各地の博物館や美術館でも、パブリックビューイングやれば、

わが町、わが都道府県出身選手を応援できるし。

お茶の間のテレビで応援するのもいいけど、

みんなで応援すると、より盛り上がるかと。

 

オリンピック・パラリンピックでなくても、

甲子園の高校野球などでも、同じことはできると思います。

 

スポーツを応援する場の作り方って、色々あるんじゃないかな、

と、こんなのさんは、思いました。

東京オリパラ中は、東京23区の会社は休みにしよう

平昌オリンピック・パラリンピック

そろそろ閉会します。

 

2020年の東京オリンピックは、7月24日から8月9日、

パラリンピックは、8月25日から9月6日に開催されるそうです。

この期間、競技会場の東京23区内は、

全世界から選手、観戦者、マスコミが集まってくるから、

道路も電車も、えらく混むんでしょうね。

歩道を大きなキャリーバッグ引きずった外国人がたくさんいたり、

キャリーバッグ持って電車に乗り込んだり。

朝、夕方の通勤ラッシュにそんなことになったら、

あちこちでケンカが起こるんだろうね。

そして、おまわりさんが呼ばれるわけですが、

競技の警備でそれどころじゃなくって、

ますますカオスな状況になるんだろうね。

 

だったら、いっそのこと、オリンピック、パラリンピックの期間、

会社そのものを休みにしちゃえばいいんじゃなかな。

お盆休みの前倒しとか、後送りみたいなことで。

そうすれば、通勤ラッシュも多少は緩和されるし、

会社が休みで家にいれば、

家のテレビでオリンピックやパラリンピック

観戦ができるし。

 

開催まであと2年あるんだから、

何ができるか、考えてもいいんじゃないかな、

と、こんなのさんは、考えました。

 

100 %出すことが前提の、現在の日本

連日、オリンピック選手の素晴らしいパフォーマンスが、

メディアで伝えられています。

 

勉強やスポーツ、仕事などで、

あのような100%のパフォーマンスが出せればいいなあ、

と思う人も多いでしょう。

 

けれども、困ったことに、今の日本は、

普段から、100%のパフォーマンスを出すことが、

前提になっていると感じています。

 

通常モードで100%を出していたら、

一発勝負の時や繁忙期は、

どれくらいの能力を発揮すればいいんでしょうね。

というか、100%以上は出せないと思うんですけど。

ってことは、キャパオーバーで、対応できなくなるんじゃないかな。

 

できれば、通常モードは80%くらいでこなせる

勉強量や練習量、仕事量がいいんですけどね。

 

まあ、現実は、そんなことは許されるわけもなく、

ついていけない人は脱落し、

残った人がその分を引き受け、

さらについていけなくなって脱落する。

そして、最後は誰も引き受けられなくなり、詰む。

ってことが、すでにあちこちで起こっているんじゃないかな。

 

特に、公共サービスは、キャパオーバーを理由に断る、

という選択肢は、選べないことが多いんじゃないかな。

近いうちに、公共サービスは、崩壊すると思います。

 

そろそろ、公共サービス以外の選択肢を見つけたり、作って、

そっちを動かしておかないとならないかな、

と、こんなのさんは、思いました。

人にできてコンピュータにできないこと

人工知能が人間の能力を超えて、

人間の行う仕事がなくなるんじゃないか、

と言われています。

 

確かに、データや品物の整理(入力や集計も含む)や管理、加工、移動等は、

コンピュータを駆使したり、

コンピュータが行うことによって、

人間が行うより、効率的にできそうです。

 

でも、それって、ある程度、人間が枠組みを作ることで、

できることじゃないかな、と思います。

コンピュータが、法律やルール、

作業手順など、

そもそもの枠組みを作ったり

することは、難しいんじゃないかな。

 

あと、Aというジャンルのものを、

全く関係ない、Bというジャンルに流用、転用することも、

難しいじゃないかな。 

例えば、絵を描くセンスや技術を、

料理作りに活かすなど。

動物をモチーフにした品物を作るにしても、

そもそも動物をモチーフにする、

というアイデアを思いつくなど。

 

そういうことを考えると、

今、社会にいる人、これから社会に関わる人、どっちも、

これから、人間が仕事をしたり、社会で活躍するには、

何かができる、知っているだけでなく、

何かができて、他に活かせる、

あるいは、活かしかたをがわかる、指導できる、

ということが、必要じゃないかな、と、

こんなのさんは、考えました。

 

昔から、言われていることなんだけどね。

人生はギャンブル、国はそれを支援する

国民健康保険料や介護保険料、税金などが、また上がるみたいですね。

一方、年金や税控除は減るみたい。

 

そう遠くないうちに、年金や給料をもらう額よりも、

税金などを納める額の方が多くなるんじゃないかな。

借金して税金納めるのかな。

 

そうすると、将来の増税や年金の減額に備えて、

お金を残しておかないと、ピンチになるのか。

ということは、最近、またはこれから、

家を買ったり、子どもを持つ人は、

家のローンや子どもの教育費を払ってもなお、

将来のお金は、心配ないってことなのか。

あるいは、どうにかなる、と思っているのか。

後者だとしたら、すごいギャンブルしてるんじゃないかな。

 

で、国は、住宅取得促進や、子どもを持つことを奨励しているのであれば、

そんな人々のギャンブルを全力で支援している、ってことなのか。

世の中、すごいな、

と、こんなのさんは、思いました。

役所が発信する情報がおもしろくないわけ

役所が出している広報紙やウェブサイトの類は、

正直、あまり面白くありません。

たまに、「おっ、これは。」と

目を引いたり、読んで納得、というものもありますが。

 

なんで、面白くないのかというと、

面白く書こうとしていない、あるいは書けないからであって、

面白さよりも、正確さ、公平さを念頭に書いているからです。

ここがナンバーワン、と書く時は、担当者の主観ではなく、

統計データや客観的証拠をもとにしなければなりませんし、

例えばパン屋を紹介する時は、

まちにある全てのパン屋を紹介しなければ、

文句が来るので、全て網羅します。

書いてないことがあると文句が来るので、

細かいことまで全て書きます。

または、店の名前と住所、電話番号しか書きません。

そうすると、結果的に、広く薄く、メリハリのない、という内容になります。

担当者のオススメ情報、なんてことは載せられません。

担当者が、店や情報提供先からバックマージンをもらっているのではないかと、

疑われてしまうからです。

 

役所にしては攻めてるな、という観光ガイドブックなどは、

巻末を見てみると、

出版社や旅行会社に制作を委託して、

役所は編集責任を負わないというトリックになっていたりします。

役所の発行責任は残るけどね。

 

役所が発信する情報を面白くするには、

役所も多少はトンがっていてもいいんじゃないの、

ということを、住民が認めてくれればいいんでしょうかね。

まあ、何をしても、文句をいう人は必ずいるので、

住民の半分くらいからは、まあいいんじゃないかな、

認めてもらえるレベルの攻めで抑えておけば

いいんじゃないかな、

と、こんなのさんは、思いました。

 

100歳まで生きたいですか

人生100年時代だそうです。

 

定年退職後、何十年も生きるので、資産運用しましょうとか、

50歳でやっと人生の折り返しなので、あと50年活躍できるように

スキルアップして、手に職つけましょうとか。

 

なんだか、みんな、100歳まで生きることが前提になってますが、

100歳まで、生きたいですか。

なんの為に、100歳まで生きるのですか。

社会の役に立つとか、何々を達成する、という

目的やビジョンがないまま、なんとなく、

100歳まで生きることが目的になっていないでしょうか。

いわゆる、目的と手段が逆転している、ということに、

なってないですかね。

 

仕事や社会に対して、

目的と手段が入れ替わっていると、

憤慨している方、

あなたは、100歳までとはいいませんが、

長生きすることについて、

目的と手段を、説明できるのでしょうね。

 

高齢者に対する社会保障が、

現役世代や将来世代に対して

手厚いようにみえる、

現役世代や将来世代は、

数多くの負債を負わなくてはならないようにみえると、

長生きすることは、いいことなのか、

一概には、言えないように思えます。

 

いっそ、40歳、50歳で、もう充分生きました、

これ以上は生きなくていいです、

という生き方や、選択肢があってもいいんじゃないかと、

こんなのさんは、考えました。