こんなのもいる

日々考えていることを書き残しています

私立小中学校に行くと、住んでいるまちの子ども扱いされなくなる

学校には、大きい分けて、自治体が設置する公立学校と、

学校法人が設置する私立学校があります。

 

一般的には、小中学生は、自分の住んでいるまちの公立学校に進学、通学します。

市町村の公立小中学校は、市町村教育委員会が管轄しているので、

配属している先生や、通っている児童生徒のことを詳しく把握しています。

一方、私立小中学校に通っている児童生徒については、

誰がどこの学校に通っている、くらいしか把握していないようです。

 

なので、公立小中学校に通っている児童生徒が

国や都道府県などのコンクールで優勝、入賞したことは把握していて、

「わがまちの誇り」とか言って表彰したり、広報で取り上げたりしますが、

私立小中学校に通っている児童生徒が、同じように優勝、入賞しても、

「事実を把握していない」とか言って、褒めることはないようです。

あるいは、表彰してもらいたかったら、そちらから教育委員会に依頼してください、

というような扱いになるようです。

優勝が、テレビで取り上げられるようなことであれば、違うかもしれませんが。

 

また、児童生徒が事件、事故に巻き込まれてたら、

公立小中学校に通っている場合は、記者会見などを行いますが、

私立小中学校に通っている場合は、しらんぷりのようです。

 

うーむ、公立小中学校に通っていないと、

そのまちの子どもとして扱われなくなるわけですか。

このことに気づいた時、教育委員会は了見が狭いな、と思いました。

これじゃ、世界で活躍するようなグローバル人材は育たないよね、

と、こんなのさんは、思いました。

 

空き店舗には店じゃなくて託児所を誘致してはどうか

かつて賑わっていた商店街で、今は店の多くが閉店し、

シャッター通りになっているところが、全国的にたくさんあります。

 

賑わっていた過去を取り戻そうと、

様々な取り組みが行なわています。

でも、なかなかうまくいかないようです。

 

空き店舗に新たに出店してもらおうとするパターンが

多いようですが、買い物客がいなくて、

商売にならないから店をたたんだのであって、

そこに新たな店ができることを期待すること自体、

考えがズレているんじゃないですかね。

 

特に郊外の駅前商店街では、お客さんは、

朝、電車に乗って働きに行き、夕方から夜、帰ってきます。

朝は開店前で、夜は閉店後じゃ、ものが売れるわけがない。

 また、電車に乗って働きに行くのは、

住んでいるまちの中で働く場所がないから、ということも

理由の一つかと思います。

 

だとしたら、いっそのこと、電車に乗って働きに行く人の

ためのお店や商売をしたらいいんじゃないかな。

例えば、託児所、保育所とかね。

朝子どもを預けて働きに行き、夕方子どもと一緒に家に帰る。

子どもは親が働いている間、友達と遊んだり、体操や工作、英会話を習ったり。

一日中じゃなくて、午前だけ、午後だけでもいいかと思います。

 

商店街でそういうことができないような何か規制があるなら、

役所に働きかけて規制緩和してもらうとかさ。

 

商店街で、物を売ることや、昼間まちにいる人向けの商売をするという

固定観念を捨てないと、センスいいものを売っている都会の店や

郊外の大規模ショッピングモール、あるいはネット通販にお客を取られるよね。

 それどころか、お客にとどまらず、人も出ていっちゃって、

人口が減り、まち自体も衰退するだろうね。

 

結局、店が売りたいものと、客が欲しいもののギャップが大きいんだよね。

なんで、そのことがわからないお店が多いんだろう。

昔みたいに、まちに住んでいる人が、そのまちから出ていかないで

買い物をする時代じゃないんだからさ、品物を並べてれば売れるわけじゃないよね。

 

まあ、物が売れなくて商売にならなくても、お店の人は困らない、

ということであれば、商売を一生懸命しないでしょうけどね。

 惰性でお店をやっているのかな、不思議だね、

と、こんなのさんは、思いました。

行政の現代アート事業は誰のためにやるのか

あちこちで、行政主導による、現代アートをまちづくりに活かそうという

取り組みが行われています。

 

作品に対する評価は、人それぞれなので、まあいいいんですが、

芸術と行政の関係って、どういうことなんでしょうね。

 

昔から権力者は、当時の最先端の芸術家に、作品を作らせていたので、

そういう点は、まあ、変わってないね、と思います。

ただ、現代は、作品を作らせたり、買ったりする原資が、

国民や住民から徴収した税金だったりするので、

「そんなことに税金を使うなんて、けしからん」という意見が出るのでしょう。

 

現代アートを活用して、まちの魅力にスポットを当てる、ということなら、

行政がやる意味はわかりますが、

行政がスポンサーになって、現代アート作品を作らせることが目的になっているようなことは、ないでしょうかね。 手段が目的になっちゃってませんかね。

 観光振興、地域活性化、地域創生を言い訳にして、そういうことを

やっているのではないか、と思われるものもありそうです。

あるいは、現代アート作家ではなく、大学の先生とか、アートプロデューサーが、

自分の育てた学生やお抱えの作家を売り込むため、行政にすり寄ってくる、

なんてこと、あるんじゃないかな。

「役所さん、この作家のパトロンになってください。

もちろん、私には紹介料を払って」ってね。

 

結局、住民のために税金が使われていると思えなくて、

首長の「やってるんだ」パフォーマンス、芸術家やプロデューサーの実績づくり、

国や県の補助金を無理矢理取ってきていいカッコする、

という胡散臭い部分が見えると、住民の賛同や協力は得られないでしょうね、

と、こんなのさんは、思いました。

 

 

雷オヤジっていたっけ

子どもの頃は雷オヤジに怒られた、

なんてことを言う人がいますが、

現在40歳の私は、怒られた記憶がありません。

駄菓子屋のおばちゃんには、怒られたような気がしますが。

 

雷オヤジの存在って、都市伝説のような気がしてきたので、

雷オヤジとのエンカウントを考えてみました。

 

出現エリア

・住宅地

・商業地(商店街みたいな?)

・通学路

出現時間

・平日、子どもの登校、下校時間帯(日中)

・土日は朝から夕方まで

怒られる内容

・道路を横一列で歩く

・その辺にごみを捨てる

・食べ歩き

・落書き、イタズラ

 

以上の条件を満たせる雷オヤジ候補者って、

・農家の人、商店主や自営業者

・定年退職して自宅にいる人

くらいかな、と思います。

会社勤めしてる人だと、

子どもの登下校時間帯には、

なかなか、子どもと出会えないようですし。

 

・・・雷オヤジに出会う条件って、けっこう厳しくないですかね。

ずいぶん前から、地方都市であっても、

昼間、人に会うことすら少なくなっていると実感します。

定年退職しても、家にずっといる人は少ないでしょうし。

引き続き働きにいっていたり、趣味やサークルで出かけてる人も多いでしょう。

 

雷オヤジに怒られるって、いわゆる「三丁目の夕日 」時代の光景で、

今の40,50歳代が子どもだった時には、

雷オヤジは、すでに絶滅危惧種レベルだったのではないでしょうかね。

 だから、20〜40歳代で、したり顔をしながら

「雷オヤジに怒られてな・・・」なんて子どもに説教する人は、

「お前は怒られたことないだろ」って、

ツッコミを入れてあげるといいんじゃないか、

と、こんなのさんは、思いました。

博物館が不要な人は、家族の思い出写真もいらない人

まちに、博物館とか、歴史資料館というような

地域の歴史を調べて、紹介する施設があります。

ないまちもあります。

 

これらの施設は、ほとんどが公立のものです。

時々、博物館のようなハコモノに税金を使うのは無駄遣いだから、

作る必要はない、つぶしたほうがよい、

という意見が出されます。

一般市民からも、首長からも。

 

そのようなことを言う人は、歴史をきちんと記録、整理し、

後世に伝えることは不要、という考えをお持ちでしょう。

だから、旅先での風景やレストランで出て来たおいしい料理を撮った写真、

家族でどこか出かけた時の写真やビデオ、

子どもが一生懸命、学校で作った図工作品などには、

一切の興味や価値を感じず、

記録しなかったり、すぐに捨てたりしているんでしょうね。

もし、残しているとしたら、考えと行動に矛盾が出てきます。

特に、市町村長といった首長さんや、役所の人が、

家族の思い出は残すが、まちの思い出は残す必要はない、

ということでしたら、これは、大きな矛盾を感じます。

まちのために働いている人が、まちの成長過程を顧みない、

ということですから。

 

住民や、観光客等の来訪者が、

まちのことを知りたいと思った時、

まちの過去のことは記録に残っていないのでわかりません、

ということで、いいんでしょうかね。

まちの成り立ちを知りたい→わかりません

まちの名産品を知りたい→わかりません

まち出身の偉人を知りたい→わかりません

まちに起こった災害を知りたい→わかりません

まちの人口推移を知りたい→わかりません

このようなことで、

住民に、まちに愛着を持ってください、とか

観光客に、まちに興味をもって来てください、と

呼びかけても、説得力はありません。

愛着や興味を持つ、きっかけが足りないのですから。

 

海外に留学したり、仕事に行った人が、

相手から、日本のこと、特に歴史や文化について聞かれたとき、

自分がそれらについて不勉強だったため、

うまく答えられず、恥ずかしい思いをした、

ということがあるそうです。

 

日本国内でも同じじゃないかな。

あなたの住んでいるまちには、何があるの、

と聞かれて、何もない、または、知らない、

という答えでは、会話が弾まず、さびしくありませんか。

 

公立博物館って、やっぱり必要なんじゃないかな、

と、こんなのさんは、思いました。 

老人のユートピアは若者のディストピアか

平成26年度 厚生年金保険・国民年金保険の概況

というものが公表されています。

 http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000106854.html

 

これによると、厚生年金保険受給者の平均年金月額は、

平成26年度末現在で、老齢年金は14万8千円 となっています。

また、 国民年金受給者の老齢年金の平均年金月額は、

平成26年度末現在で5万4千円、平成 26年度新規裁定者で5万1千円となっています。

それぞれ、12をかけると年額になるので、

厚生年金の年額は、1,776,000円、

国民年金の年額は、648,000円 となります。

 

一方、平成26年賃金構造基本統計調査結果によると

高卒1年目の平均初任給は158.8万円、

大卒1年目の平均初任給は200.4万円 だそうです。

 http://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/chingin/kouzou/14/01.html

 

厚生年金をもらう夫と国民年金をもらう妻、

という世帯だと、世帯での年金収入額は、年額約240万円

という計算になるのかな。

大卒1年目の年収より多いね。

 

多くの老人の皆様は、もらえている年金の額が足りないので、

もっとくれ、税金をまけろ、色々なものの料金を減額・無料にしろ、

という要求をしています。

 

年金を増やしたり、料金を無料にした分のお金は

高卒1年目や大卒1年目の人々を含めた

現役世代から徴収する年金や税金等から補填されます。増税することもあります。

あるいは、現役世代が将来使う分を、前倒しで使います。

 

 さて、新社会人は、これまで学生割引料金や学生向けサービスを受けていましたが、

働きはじめると、一般料金を払うことになります。

 

こういうことかな。

高齢者:シルバーパスで交通費無料、シルバー料金で入場料割引、

ういたお金で豪華なランチ。

新社会人:学割使えず交通費増額、学生料金でなく一般料金で入場料増額、

お金を節約するため、ファミレスのドリンクバーで粘る。

 

高齢者は、これまで頑張ってきたからサービスされて当たり前、

新社会人は、これから給料が増えるから我慢しなさい、ってことかな。

毎年昇給する時代は、終わったんですけどね。 

 

お金が足りないなら、結婚して共働きすればいい、ってことかな。

高齢者のサービス維持・向上のために

若者世代は結婚して共働きしましょうってことかな。

 

すごい社会になったもんだ、と

こんなのさんは、考えました。

いい大人は大人買いしない

子どもの頃、

大人になって、お金をたくさん稼いだら、

お店のお菓子を全部買い占めちゃおうと思い、

そんな行動を「大人買い」と呼び、

夢見ていた人も、多いかと思います。

 

さて、大人になって、

お金をたくさん持てるようになると、

そういう行動をとるようになったのでしょうか。

 

分別のつく、いい大人になると、

そんなことをする人は、そうそういません。

大人買い」って、誰が言い出したんでしょうね。

 日本語以外の言語でも、同じような言葉は

あるんでしょうかね。

もしかしたら、日本人独自の考え方なのかもしれません。

言葉って、おもしろいね、と、

こんなのさんは、考えました。

 

なお、こんなのさんはというと、

お店で味違い、色違い、柄違いのお菓子やグッズを、

一揃え買うようなことを、します。

いい大人でなく、お金をたくさん持ってる「お子様」なので。