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こんなのもいる

日々考えていることを書き残しています

物事を俯瞰して見るには地図と年表を使う

仕事や研究で、何か新しいことを始める時、

多くの人は、まず、現状分析をするのかなと思います。

そして、俯瞰の視点で見てみると、

色々なことが見えてきたり、気づくことがあります。

 

では、どうやったら、俯瞰の視点で、

的確に状況を捉えることができるでしょうか。

 

私の場合は、地図(分布図など)と年表を作ります。

地図を作る際の視点は次のとおり。

・市町村レベル、県レベル、全国レベル、世界レベル等、

  どのレベルを対象とするか設定する。

・物の数や対象人口、扱っている企業の数等の分布に偏りがないか、

  考えながら地図にデータを記載する。

・最大、最小等、「一番」や、「唯一」を探しながらデータを記載する。

・人や物、お金の大きな移動がないか探しながらデータを記載する。

・100、1000など一定の区切りで色を変えながらデータを記載する。

 

年表を作る際の視点は次のとおり。

・いつ、始まったのか。西暦、元号ともに。

・いつ、大きな出来事があったか。

・大きな出来事が起こった前後に、関連することがあったか。

  事件、事故があったか、法律や計画がかわったか。

・区切りの年(何周年など)は、いつか。これは、今後も含めて。

・いつ、主導者、責任者、担当者の交代があったか。

  大きな出来事があった時は誰だったか。

 

この2つを作ると、

・地図では、どこで盛り上がっているか、あるいは未開拓なのか。

・年表では、これまでどんな歩みをしてきたのか、

  そして今後盛り上がりそうか、衰退していきそうか。

・自分が知っていること、興味あることがその中にあるか。

がわかってきます。

また、先輩や同業者の話に、ある程度ついていけるようになります。

 

私は、この2つを、

早ければ1日、時間をかけても1週間あれば、

なんとか作れるかな、と思います。

そして、随時更新し、定期的に眺めることで、

次にどうするか、アイディアが浮かんでくるんじゃないかな、と

こんなのさんは、思いました。

 

あとは、ランキング表やグラフもつくると、

より一層、客観的に見られるようになると思います。

ビジネス雑誌には、だいたいそんなことが載ってますね。

若い人がまちに意見を言わないのはなぜか

役所や偉い人が、

まちをよくするために、

若い人の意見を聞きたい、

ということをよく聞きます。

 

でも、なかなか意見が出てきません。

なぜなのか、考えてみました。

 

意見を聞く対象について

・そもそも若い人がまちに住んでいない。

  若い人がいないんじゃ、そもそも意見を聞けません。

・若い人は住んでいるが昼間や休日は出かけている。

  意見を聞きたい人は、

  基本的に昼間のまちについて意見を聞きたいと思います。

  昼間や休日出かけていて、昼間のまちの様子がわからない人は、

  意見を聞く対象としては、浮かび上がってこないかもしれません。

  そういう人からの、夜道が暗くて犯罪が起こりそう、

  ということについての意見は

  聞くかもしれません。

 

意見のフィードバックについて

・どこに意見を伝えればいいのかわからない。

  住んでいる市町村に伝えればいいのか、

  都道府県に伝えればいいのか、

  国に伝えればいいのか、

  そもそも相手と直接やり取りして解決する問題なのか、など、

  窓口がわからない、あるいは

  聞くところや相手が間違っているようなら、

  意見を聞きたい人には届きません。

・思うところはない、まちに興味がない。

  まちについて思うことがないなら、

  意見は出てこないと思います。

  ないものは、ありません。

・意見が反映されないと思っている。

  これは、よく言われることです。

  意見を伝えたところで、

  聞く側の、一応聞きましたよ、というアリバイづくりのためならば、

  意見を出すだけムダ、と考えます。

  また、世の中のパワーバランス的に

  力が弱いならば、意見はなかなか反映されないと思っていて、

  意見を出さないのかもしれません。

  少数意見だったり、選挙権がなかったり、

  よそ者だったり。

・募集側と回答側の考え方がかみ合わない。

  意見を聞く側の理屈や観点と、

  意見を出す側の理屈や観点が

  ズレているようなら、

  どこまでいっても平行線です。

  また、

  意見を聞く側は、意見を集める(フリ)ことがねらいで、

  意見を言う側は、意見を反映してもらうことがねらいならば、

  目指すゴールがそもそもズレています。

 

現状維持について

・現状に不満はない。

  可もなく不可もなく、ということであれば、

  より良くしたい、という意見は出ません。

・現状に満足している。

  満足しているようならば、

  それは良かったですね。

 

一方、意見を聞いたところで、

役所や偉い人が、

最初から意見を実行・反映するつもりがなければ、

意見を伝える意味がありません。

意見を聞く側も、出された意見を実行・反映するための

お金や人手の余裕、空き場所といった、リソースが必要と考えます。

 

逆の見方をすると、

まちの人も、

意見を反映するために

役所や偉い人が余力を残していることを

多少なら許してあげる、

ということが必要かな、と思います。

それは、一見、ムダな物事に思えるかもしれません。

 

結論

本当に意見を聞いてまちをよくしたいなら、

役所や偉い人は、

出された意見を反映・実行する

リソースを持ってください、

また、まちの人も、

役所や偉い人の、

あそびの部分を多少は認めてあげましょう、と

こんなのさんは、思いました。

ベッドタウンの人口を増やすには

人口減少社会だそうです。

 

一昔前まで人口が増えていた

大都市周辺のいわゆる「ベッドタウン」も、

今後、人口がどんどん減っていくようです。

これまで、人口増加を前提としておこなわれていた

役所、あるいは民間企業のまちづくりも、

見直さなければならないようです。

 

ベッドタウンの人口を増やすこと、または維持することは

できないのか、考えてみました。

 

ベッドタウンとは、戦後、大都市を中心として

日本が発展するなかで、

大都市に働く場所やビジネスチャンスを求めてきた人が、

地方から移り住んできたということで出来上がったまち、と考えます。

できれば職場に近い都市中心部に住みたい人々が、

都市中心部での人が住める容量が溢れてしまったため、

人の受け入れが可能な近郊のまちに流れ込み、

その結果、人口が増えていった、ということでしょうか。

 

現在、都市中心部でも人の受け入れ容量に余裕ができ、

いくらお金があっても、住める住宅がないため、

近郊のまちでなければ住めない、

ということが少しは改善されました。

そうすると、都市中心部に住むことが可能な人は

中心部に住む、という選択肢を選べるようになり、

都市近郊のまちを選ぶ理由が弱くなってしまったのかな、と思います。

もちろん、中心都市より住宅購入費や維持費が少なくてよいことや、

住宅の敷地が広い、周辺住環境がいい、

という理由で近郊のまちに住む人もいるでしょう。

 

ここで一つ、極端な考え方ですが、

昔のように、都市中心部の人口が飽和すれば、

またベッドタウンに人が流れ込んでくるのかな、

と思いました。

そこで、ベッドタウンの市長や偉い人は

・都市中心部にもっと人を集約させる

  (地方や海外から人を集める)

・都市中心部の住宅を減らす

  (住宅建築の要件を厳しくして、住宅増加を抑制する、

     あるいは、税金を高くして住むためのハードルを高くする)

という政策をするよう、

国や中心都市に働きかければいいのではないか。

と、こんなのさんは、思いました。

 

働きかけた市長や偉い人のまちを選んで住んでくれるか、

ということは、それはまた別件として、

考えなければならないことですが。

 

 

大学で学べること

今は大学入試シーズン。

入りたい大学や学部で学ぶことを夢見て、

最後の追い込みをかけている人も多いかと思います。

 

さて、大学生は大学では何を学ぶのでしょうか?

人間関係や社会経験はさておき、

大学で学んだことが仕事をつながる、

なんてことは、なかなか難しいこと。

法学部に入って勉強したからといって、

法曹界で活躍したり、

商学部や経済学部に入って勉強したからといって、

企業を経営したり、とはいかず、

世の中そうそう、うまくはいかないもの。

 

では大学で学んだら、どんなことが身につくのでしょうか?

私は、世の中の見方を身につけられる、と考えます。

 

どういうことかというと、

世の中のある事柄について、

法律を学んだ人は、法的にはどうか、という観点で考えたり

経済を学んだ人は、商売的にはどうか、という観点で考えたり、

歴史を学んだ人は、経緯の時系列はどうか、という観点で考えたり、

芸術を学んだ人は、美的にはどうか、という観点で考えたり。

 

ある程度真面目に勉強した大学生に対して、

世間が期待しているレベルって、

その程度じゃないかな。

大学の学部レベルで、

半期で13回、通年25回くらいの講義時間で学べる内容だと、

あまり深く掘り下げないし。

 

学んだ成果を証明できるものとしては、

色々な資格がありますが、

資格を持っているからといって、

職場の即戦力になる、

ということも、また難しい。

もちろん、資格がないと就けない仕事もあります。

この仕事をしたいから、

必要な資格を得るために、大学に行く、というのも、

また一つの考え方です。

 

結論としては、

○○学部卒です、

だから、こんな見方ができます、

と言えるような、

人になれればいいんじゃないかな、と、

こんなのさんは、思いました。

 

 

 

 

聖地巡りって昔からある

らきすた』前後でしょうか、

いわゆる、アニメ作品などの舞台を訪れ、

登場人物の真似をしたり

作品に思いをはせたりする

「聖地めぐり」が世間一般に浸透したのは。

その前から、『お願いティーチャー』に影響されて

木崎湖に行くような人は、一定数いたわけですが。

 

「真実の口」に手を入れて抜けなくなる『ローマの休日』ごっこ、

冬の韓国で小さな雪ダルマを作る『冬のソナタ』ごっこ、

富良野にある丸太小屋で田中邦衛の真似をする『北の国から』ごっこ、

奈良や京都で和歌を詠む『小倉百人一首』ごっこ。

 

聖地めぐりをきみわるがっている皆様、

あなたもすでに、同じことをやっているのです。

アルプスの少女ハイジ』を見て、

大勢の日本人がスイスを訪れ、

はしゃいでいたら、

スイスの人は困惑していたそうです。

 

だから、邪見に扱わないで、

ふーん、って見てあげればいいんじゃないかな。

と、こんなのさんは、思いました。

子どもは大人の背中を見て育つ、ということは

これからの時代、世界で活躍するには「 〜」が必要だ、

ということで、小学生に色々なことを

学ばせようというご意見を、よく聞きます。

・英語

・日本の歴史や伝統文化

・コンピュータプログラミング

・スポーツ

・問題発見力や問題解決力

・サバイバル力

・生きる力

とかね。

 

これらを兼ね備えた、スーパー子ども、さらに成長して、

スーパー大人になってもらおうということですが、

そういうご意見を下さる方は、

当然、スーパー大人だったり、

あるいは、スーパー大人になるための精進をされているんですよね。

 

一日中、テレビの前にいたり、

運動不足のメタボ体型だったり、

居酒屋でくだまいてるだけだったり、

自分のことは棚に上げて

ご意見をおっしゃっているんじゃ、ないですよね。

子どもは大人の背中を見て育つらしいです。

 

と、こんなのさんは思いました。

子どもを安心して産める、育てられる環境ならば引っ越してきて、住み続けるか

まちの広報紙を読んでいたら、

人口減少に対応したまちづくりの視点として、

産科、小児科を充実してはどうか、というものがあった。

 

確かに、まちとして、

これから子どもを産み、育てる人々を呼び込むためには、

産科、小児科や、保育環境を充実させることは必要だと思う。

けれども、それを理由として、出生率が高まるだろうか。

よそのまちから人口が流入したり、

あるいは、よそのまちへの人口流出に歯止めがかかるだろうか。

 

まちにある産科や小児科にかかることができるのを、

そのまちに住んでいる人に限定するようなことは、

現実問題としては難しいと思う。

また、出産費用や小児医療費の補助や、

保育園に必ず入れるような仕組みを用意しても、

補助期間が終わったり、小学校に上がる段階で、

もうまちからもらえるものはないので、

このまちには用はない、ということで

引っ越してしまうようなことになったら、

役所としては、ずっと住み続けてもらいたかったから

面倒みてたのに、いなくなってしまい、

お金を出したり、環境を作ったのに、

損した、ということにはならないだろうか。

 

どんな条件なら引っ越してくるか、あるいは住み続けるか、

聞いてみたらどうだろうね。

役所にしてみたら、

そんなの無理、という要望が上がってくると思うが、

そんな現実も認識しなければならないのではないかと、

こんなのさんは、思いました。