読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

こんなのもいる

日々考えていることを書き残しています

行政の現代アート事業は誰のためにやるのか

あちこちで、行政主導による、現代アートをまちづくりに活かそうという

取り組みが行われています。

 

作品に対する評価は、人それぞれなので、まあいいいんですが、

芸術と行政の関係って、どういうことなんでしょうね。

 

昔から権力者は、当時の最先端の芸術家に、作品を作らせていたので、

そういう点は、まあ、変わってないね、と思います。

ただ、現代は、作品を作らせたり、買ったりする原資が、

国民や住民から徴収した税金だったりするので、

「そんなことに税金を使うなんて、けしからん」という意見が出るのでしょう。

 

現代アートを活用して、まちの魅力にスポットを当てる、ということなら、

行政がやる意味はわかりますが、

行政がスポンサーになって、現代アート作品を作らせることが目的になっているようなことは、ないでしょうかね。 手段が目的になっちゃってませんかね。

 観光振興、地域活性化、地域創生を言い訳にして、そういうことを

やっているのではないか、と思われるものもありそうです。

あるいは、現代アート作家ではなく、大学の先生とか、アートプロデューサーが、

自分の育てた学生やお抱えの作家を売り込むため、行政にすり寄ってくる、

なんてこと、あるんじゃないかな。

「役所さん、この作家のパトロンになってください。

もちろん、私には紹介料を払って」ってね。

 

結局、住民のために税金が使われていると思えなくて、

首長の「やってるんだ」パフォーマンス、芸術家やプロデューサーの実績づくり、

国や県の補助金を無理矢理取ってきていいカッコする、

という胡散臭い部分が見えると、住民の賛同や協力は得られないでしょうね、

と、こんなのさんは、思いました。

 

 

雷オヤジっていたっけ

子どもの頃は雷オヤジに怒られた、

なんてことを言う人がいますが、

現在40歳の私は、怒られた記憶がありません。

駄菓子屋のおばちゃんには、怒られたような気がしますが。

 

雷オヤジの存在って、都市伝説のような気がしてきたので、

雷オヤジとのエンカウントを考えてみました。

 

出現エリア

・住宅地

・商業地(商店街みたいな?)

・通学路

出現時間

・平日、子どもの登校、下校時間帯(日中)

・土日は朝から夕方まで

怒られる内容

・道路を横一列で歩く

・その辺にごみを捨てる

・食べ歩き

・落書き、イタズラ

 

以上の条件を満たせる雷オヤジ候補者って、

・農家の人、商店主や自営業者

・定年退職して自宅にいる人

くらいかな、と思います。

会社勤めしてる人だと、

子どもの登下校時間帯には、

なかなか、子どもと出会えないようですし。

 

・・・雷オヤジに出会う条件って、けっこう厳しくないですかね。

ずいぶん前から、地方都市であっても、

昼間、人に会うことすら少なくなっていると実感します。

定年退職しても、家にずっといる人は少ないでしょうし。

引き続き働きにいっていたり、趣味やサークルで出かけてる人も多いでしょう。

 

雷オヤジに怒られるって、いわゆる「三丁目の夕日 」時代の光景で、

今の40,50歳代が子どもだった時には、

雷オヤジは、すでに絶滅危惧種レベルだったのではないでしょうかね。

 だから、20〜40歳代で、したり顔をしながら

「雷オヤジに怒られてな・・・」なんて子どもに説教する人は、

「お前は怒られたことないだろ」って、

ツッコミを入れてあげるといいんじゃないか、

と、こんなのさんは、思いました。

博物館が不要な人は、家族の思い出写真もいらない人

まちに、博物館とか、歴史資料館というような

地域の歴史を調べて、紹介する施設があります。

ないまちもあります。

 

これらの施設は、ほとんどが公立のものです。

時々、博物館のようなハコモノに税金を使うのは無駄遣いだから、

作る必要はない、つぶしたほうがよい、

という意見が出されます。

一般市民からも、首長からも。

 

そのようなことを言う人は、歴史をきちんと記録、整理し、

後世に伝えることは不要、という考えをお持ちでしょう。

だから、旅先での風景やレストランで出て来たおいしい料理を撮った写真、

家族でどこか出かけた時の写真やビデオ、

子どもが一生懸命、学校で作った図工作品などには、

一切の興味や価値を感じず、

記録しなかったり、すぐに捨てたりしているんでしょうね。

もし、残しているとしたら、考えと行動に矛盾が出てきます。

特に、市町村長といった首長さんや、役所の人が、

家族の思い出は残すが、まちの思い出は残す必要はない、

ということでしたら、これは、大きな矛盾を感じます。

まちのために働いている人が、まちの成長過程を顧みない、

ということですから。

 

住民や、観光客等の来訪者が、

まちのことを知りたいと思った時、

まちの過去のことは記録に残っていないのでわかりません、

ということで、いいんでしょうかね。

まちの成り立ちを知りたい→わかりません

まちの名産品を知りたい→わかりません

まち出身の偉人を知りたい→わかりません

まちに起こった災害を知りたい→わかりません

まちの人口推移を知りたい→わかりません

このようなことで、

住民に、まちに愛着を持ってください、とか

観光客に、まちに興味をもって来てください、と

呼びかけても、説得力はありません。

愛着や興味を持つ、きっかけが足りないのですから。

 

海外に留学したり、仕事に行った人が、

相手から、日本のこと、特に歴史や文化について聞かれたとき、

自分がそれらについて不勉強だったため、

うまく答えられず、恥ずかしい思いをした、

ということがあるそうです。

 

日本国内でも同じじゃないかな。

あなたの住んでいるまちには、何があるの、

と聞かれて、何もない、または、知らない、

という答えでは、会話が弾まず、さびしくありませんか。

 

公立博物館って、やっぱり必要なんじゃないかな、

と、こんなのさんは、思いました。 

老人のユートピアは若者のディストピアか

平成26年度 厚生年金保険・国民年金保険の概況

というものが公表されています。

 http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000106854.html

 

これによると、厚生年金保険受給者の平均年金月額は、

平成26年度末現在で、老齢年金は14万8千円 となっています。

また、 国民年金受給者の老齢年金の平均年金月額は、

平成26年度末現在で5万4千円、平成 26年度新規裁定者で5万1千円となっています。

それぞれ、12をかけると年額になるので、

厚生年金の年額は、1,776,000円、

国民年金の年額は、648,000円 となります。

 

一方、平成26年賃金構造基本統計調査結果によると

高卒1年目の平均初任給は158.8万円、

大卒1年目の平均初任給は200.4万円 だそうです。

 http://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/chingin/kouzou/14/01.html

 

厚生年金をもらう夫と国民年金をもらう妻、

という世帯だと、世帯での年金収入額は、年額約240万円

という計算になるのかな。

大卒1年目の年収より多いね。

 

多くの老人の皆様は、もらえている年金の額が足りないので、

もっとくれ、税金をまけろ、色々なものの料金を減額・無料にしろ、

という要求をしています。

 

年金を増やしたり、料金を無料にした分のお金は

高卒1年目や大卒1年目の人々を含めた

現役世代から徴収する年金や税金等から補填されます。増税することもあります。

あるいは、現役世代が将来使う分を、前倒しで使います。

 

 さて、新社会人は、これまで学生割引料金や学生向けサービスを受けていましたが、

働きはじめると、一般料金を払うことになります。

 

こういうことかな。

高齢者:シルバーパスで交通費無料、シルバー料金で入場料割引、

ういたお金で豪華なランチ。

新社会人:学割使えず交通費増額、学生料金でなく一般料金で入場料増額、

お金を節約するため、ファミレスのドリンクバーで粘る。

 

高齢者は、これまで頑張ってきたからサービスされて当たり前、

新社会人は、これから給料が増えるから我慢しなさい、ってことかな。

毎年昇給する時代は、終わったんですけどね。 

 

お金が足りないなら、結婚して共働きすればいい、ってことかな。

高齢者のサービス維持・向上のために

若者世代は結婚して共働きしましょうってことかな。

 

すごい社会になったもんだ、と

こんなのさんは、考えました。

いい大人は大人買いしない

子どもの頃、

大人になって、お金をたくさん稼いだら、

お店のお菓子を全部買い占めちゃおうと思い、

そんな行動を「大人買い」と呼び、

夢見ていた人も、多いかと思います。

 

さて、大人になって、

お金をたくさん持てるようになると、

そういう行動をとるようになったのでしょうか。

 

分別のつく、いい大人になると、

そんなことをする人は、そうそういません。

大人買い」って、誰が言い出したんでしょうね。

 日本語以外の言語でも、同じような言葉は

あるんでしょうかね。

もしかしたら、日本人独自の考え方なのかもしれません。

言葉って、おもしろいね、と、

こんなのさんは、考えました。

 

なお、こんなのさんはというと、

お店で味違い、色違い、柄違いのお菓子やグッズを、

一揃え買うようなことを、します。

いい大人でなく、お金をたくさん持ってる「お子様」なので。

まつりは迷惑か

秋になると、あちこちでまつりやイベントが数多く行われます。

まつりの会場には、出店やパフォーマンスなどを目当てに、

たくさんの人々がやってきます。

集まってくる人々は、

普段からそのまちに住んでいる人もいれば、

わざわざ遠くから来る人もいます。

会場や周辺はとても賑やかになります。

そして、買い物や出会いがあります。

 

そんな賑わいを嫌がる人もいます。

静かな日常生活を邪魔されたくない住民もいることでしょう。

まあ、わかります。

 

しかし、中には、賑わいを嫌がる、お店の人もいます。

お店の人から直接聞いた時には、びっくりしました。

理由を聞くと、

・人が集まったからといって、自分の店で飲食をしたり、商品が売れるわけではない。ゴミしか残らない。

・これ以上忙しくなりたくない。ひっそりと商売したい。

・一見の客は相手にしたくない。

ということだそうで。

 

いくら役所や商工会、住民が

商業振興やまちの活性化を望んで、旗振りをしても、

肝心のお店がそれを望んでいないようでは、どうしようもない。

なんで商売をやっているんでしょうね。

そりゃ、いつの時代の商品なのかわからないものが並んでいたり、

お店のシャッターは閉まっているが、

お店の2階の住居部分には住み続けているようなところが

たくさんあるわけですね。

 

そんな店やまちは、滅びてしまえばいいのにね、

と、こんなのさんは、思いました。 

 

 

 

リーダーには3タイプいる

部活動の部長、会社の社長、一国の総理や大統領など、

これまで色々な代表者、リーダーが

私たちの前に現れては消えていきましたが、

私は、次の3タイプに分けられると思います。

 

・牽引型

先頭にたって判断し、進んでいくタイプ。

「私が決めました」

どっちに行ったら分からない時、

自分は責任を負いたくない時、

絶対信頼できると思える時には、とても心強いです。

判断を間違えると目も当てられない結果が

待ち受けているかもしれません。

 

・協調型

みんなの意見を聞いて、最大公約数的解決策を出してから、進んでいくタイプ。

「みんなで決めました」

方向を決定するまでには時間はかかりますが。

失敗のリスクを少なくしたい時、

自分も判断に参加したい時には、いてもらいたいです。

責任者が誰か、わからなくなることもありますが。

部外者からは、リーダーシップを

発揮しているようには見えないかもしれません。

 

・傀儡型

周りの人に決めてもらったことを、さも自分で決めたように振る舞うタイプ。

「みんなを信頼して任せました」

リーダーに手柄を奪われて、メンバーには気分が良くないこともありますが、

逆に考えると、失敗した時の責任もおしつけられるので、

リスクが高い時には、こういう人にリーダーを任せて、

自分は高見の見物を決め込みたいです。

 

傀儡型リーダーに限って、自分は牽引型リーダーと思っちゃうことが多いんだよね。

周りからは傀儡型リーダーと思わせといて、本当は牽引型や協調型リーダーだったりすると、これはなかなかの曲者。

 

最近、新しい知事や政党の代表が決まりましたが、

どんなリーダーなんですかね、楽しみ楽しみっと、

こんなのさんは思いました。